たんぽぽだより 170号

宝塚の中学校給食を視察 「自校・直営」
充実ぶりを実感!川西でも早く実現を!

2016年11・12月 日本共産党川西市議会議員 黒田みち

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【1面】

宝塚の中学校給食を視察 「自校・直営」
充実ぶりを実感!川西でも早く実現を!

  「川西の中学校給食を実現する会」は11月9日、宝塚市立山手台中学校の給食を視察し、「うらやましい」「川西でも早く」との思いを強くしました。参加者はこどもを含め10名。

 教育委員会の担当課から、事前に出していた質問を含め、現状を丁寧に説明していただき、非常に進んでいることがよく分かりました。

「給食の先生」「食事の見本に」

 宝塚市では中川ともこ市長が、小・中学校すべてで「自校直営方式の給食の実施」を堅持・推進しており、内容も週3日は米飯で和食中心のおかず、週2日も、朝焼きパンに見合ったメニューを工夫されています。

 直営から委託にされた時期もあったようですが、現在は、すべて直営で、「給食の先生」であり、給食が「食事の見本」となるよう、学校職員が一丸となって努力されていること。こどもの育ちの保障や食育としての取り組みなど、資料や冊子などで説明を受けました。

配膳~食事スムーズに

 「自校で炊飯・調理するためクラスごとに配慮や工夫がきる」「委託の場合(米飯1食60円)は直営(同30円)より高いが、直営にしてからはその分をおかずにまわしている(1食270円)」など具体的な話しをお聴きし、こども達の配膳、準備・食事風景など見学しました。

 「小学校で給食当番を経しており行動はスムーズ」、「こどもが荒れている時代は苦労したが、今はこども達が落ち着いており、配膳を待っている間もテスト勉強やほかの活動を自分達で考えて行動しています」とのこと。「不登校のこどもが給食だけ食ベに来るってこともあるんですよ。職員とつながっているってことですかね」など見学をしながら校長先生達からもお話しを聴かせていただくことができました。

食べる量を自分で加減

 最後にこども達と一緒の給食側量を試食しましたが、十分の量でした。自分の量を加減して食べるこども達の自発性、アレルギーへの対応など個別具体な対応と連携は直営ならではと実感しました。

 「残食」の話しをすると、「残食の数字だけに振り回されるのではなく、こども達に何を食べさせたいか?が重要です。初めてのものには抵抗があるし、字年・クラスでもいろいろあります。だからこそ、職員がそれぞれ個別に実態を見て工夫し続けているのです」と元調理員たった課長さんが誇りをもって伝えてくださる姿に感動して帰路に着きました。

川西は凍結解除で早く

 川西市では、今年度「明峰中字校」をモデル校として自校方式の導入に向けた取り組みがはじまる予定でしたが、残念ながらそのための予算・240万円は凍結されたままです。1日も早く実施の方向で動いてほしいものです。

*^-^* 若いお母さん達と「給食」で懇談

 「中学校給食の実現を願う保護者有志より」のお手紙を持って、子育て真っ只中のお母さん達が11月15日、共産党議員団にと懇談に来られました。

 お母さん方は、川西市の小学校給食の素晴らしさを日々実感され、給食を試食した経験を元に、いかに直営・自校方式が優れているか、を伝えて下さいました。

 お母さんネットワークで近隣の情報も持っておられ、アレルギー対応・味、障がい児対応・先生達(調理師・栄養教諭・職員全員)のきめ細やかな手立てを具体的に教えてくださいました。この声が届き、実現するように私たちも全力でがんばります。

東日本被災地支援に行ってきました!!

 私(黒田)は「第6回日本共産党兵庫県委員会・東日本大震災救援実行委員会」に加わって11月6~8日、支援ボランティアに行って来ました。(33名参加)

 今回は、この7月に居住制限区域及び避難指示解除準備区域解除になった南相馬市小高区の視察と懇談、郡山市にある仮設住宅での炊き出し・バザーと交流・懇談を行いました。バザーには毛糸で編んだ帽子や可愛い手作り小物が並び、住民の方との会話が盛り上がります。

 毎回、金田峰生国政事務所長が、トラックを運転して炊き出し(もち麦麺)の材料やお土産(ペットボトルの水・淡路島産玉ねぎ・柿・ティッシュ・トイレットペーパー・お菓子)などを運んでくれます。住民の方々は、美味しい湧き水を飲んでおられた方が多いので「神戸六甲の水」は毎回喜んでくださいます。

 あの3月11日から5年8ヶ月が経過しているのに、何故ここまで復興が進まないのだろうかという大きな疑問と時間の経過と共に被災者の方々がどんどん分断・孤立させられていくというあまりにも厳しい現実政治の酷さと責任を改めて痛感しました。

黒豆の声

広大な土地に
トラックがポツンと作業をしている
背高のっぽのクレーン車が
とっても小さく見える
草が生えはじめた
黒いフレコンバッグの山が
ずっと続いている
あれから5年8ヵ月
なぜ進まない?!復興

誰も住んでいない町に
信号だけが光っている
お買い物もできない
病院もまともにない
そんな町に帰れ…と
アベ自公政権が言う
わしは何も悪いことやっちゃいねえ
どうして
こんなことになってるんだ?!
帰っても何もすることがない(仕事)何もすることがないくらい
辛いことはねえ

家族はみんなバラバラだ

また来いよ
忘れないでくれよ

帰っていく時
何度も何度も握手をしてくれる
大きく大きく手をふってくれる
バスが見えなくなるまで

原発事故を絶対忘れない
福島を忘れない
国民を捨てないで…切に願う

【2面】

「安心」覆す年金カット

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